なしごれん@maku puppet

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2011年2月

2011年2月28日 (月)

笑顔で行こう!

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最近僕は出掛ける際に 必ず、玄関にある鏡を覗く。

そして「ニコリ」と無理やり、笑顔を作ってみる。

自分で言うのも何だか、その表情は固く、気持ち悪い。

ぎこちない表情の笑顔。

それも 今まで笑顔で人と話すとか、大声で笑うとか言う事が

無かったからだ。

そもそも僕が、この行動を取るのも 以前、初めて会った霊視の先生から

「あなたは笑顔が足りません」と いきなり指摘され、

先日 お会いした先輩ヒーラーからも 「笑顔で過ごした方が良いよ」と

アドバイスをもらったからだ。

笑顔にしていると 運勢が良くなるらしい。

こんなに 笑顔関連の話が僕の周囲に出てくるのだから

笑顔にしていれば、きっと何か良い変化が起こるハズ。

僕は それを期待している。

そして、確かに普段の生活でも しかめっ面の人には話しかけにくい。

笑顔って 思っていたより大事。

僕は言われた事を実行し、笑顔の練習に取り組んでいる。

しかし、鏡の中の僕の表情は、まだ笑顔と言うには ほど遠い。

でも、頑張るど!

2011年2月27日 (日)

自分の居場所

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僕は 一昨年の9月に うつ病の入院で突然、会社を休職し、

今までの約1年半の間、後輩達が引き継いで仕事をしてました。

私が休職前は あんなに忙しかったのに それでも後輩達の力で

会社は動いてました。

「誰が いなくなっても 会社は廻って行くものなんだな」と

改めて感じつつ、少し寂しくも感じてました。

ある日の事、会社で後輩の仕事ぶりを見ていたら 設計事務所から

依頼のあった仕事(図面作成)を 自分で処理せずに

協力会社(他社)へ 電話でそのまま依頼していました。

僕は「あれっ?」と疑問に思いました。

と言うのも僕が休職前、図面を書くのは社内でやっていたからです。

僕は気付きました。

「後輩達は まだ図面を書けるだけのスキルは持っていない」と。

今回の様子を見て

「僕にも まだ会社へ貢献できる事がある」、

「僕の居場所は まだある」と 思いました。

後輩達へ仕事のアドバイスをし、僕の持ってる技術を後輩達へ

受け継ぐ。

その事が会社の技術向上につながる。

そして この小さな一歩が社会へ役立てたら

こんなに嬉しい事はありません。

「僕は社会に対して必要な存在だ」と思い、

「やるべき事が、まだ残っている」と 気付きました。

2011年2月26日 (土)

うつ病は告白すべき?

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先日、リワーク (うつ病で休職中の者が通う職場復帰支援施設)

による 会社訪問があった。

参加したのは リワークの主任カウンセラー、勤務先の社長、

そして僕の計3名。

職場復帰の時期が近付くにつれ、より具体的な復帰後の対策が

検討された。

僕はそれまで モヤモヤしていた職場復帰への不安感が一部、

解消された。(全部では無い)

その話の中で社長から言われた。

「自分の両親へ うつ病になった事を伝えなさい」と。

そうなのだ。

実を言えば、僕は自分の両親へ うつ病になった事も

うつ病で入院し、仕事を休職していた事もずっと内緒にしている。

何故か?

それは僕の両親が高齢で「今さら親に余計な心配をかけたくない」

と言う、思いがあったから。

しかし、社長は言う。

「事実を伝えて、親子関係をオープンにしろ」と。

僕は その場では納得したふりをしたが、実は納得していなかった。

僕が思うに社長の発言は 親の立場からの発言だ。

社長にも子供がいる。

「子供に隠し事をして欲しく無い」と言う親の心理が働いていると思う。

ところで、ウチの両親(特に父親)は 心配性だ。

僕の妹の話によれば、僕が以前、椎間板ヘルニアで入院・手術した時

でさえ、悲しみ、泣いていたらしい。

僕は「今さら、ことを荒立てたくない」と思っている。

僕の家内や妹には マメに僕の症状の連絡を取り合っていたが、

「両親には このまま知らせないままの方が良いのではないか」、

「新たな衝撃(うつ病と言う事実)を与えて、心の負担に

 なるのではないか」、

そう思い、

正直に伝えるべきか、それとも黙っておくべきか、僕は悩んでいる。

2011年2月25日 (金)

それは春のせい?

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昨日・今日と暖かい日が続いている。

先日まで僕はお出かけ時にマフラーが手放せなかったが、

今日はマフラー無しで、しかも薄着で体が軽い。

日差しも眩しい。

車の運転をしてみれば、冬の間、ずっと閉ざされたままだった

車の窓を開けてみた。

フルオープンにして車を走らせてみる。

車内を通り抜ける風が気持ちいい。

気分は すっかり春だった。

そして、これだけ暖かければ、

気も緩むし、財布のヒモも ゆるみがち。

つい衝動買いをしてしまった。

春色のスタバ期間限定 桜柄のタンブラー。(写真)

つい、欲しくなっちゃうのよねー。

でも、家内に見つかると

「また余計な物を買ってる!」と 怒られちゃう。(汗

2011年2月24日 (木)

買えないし、飼えない。

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僕は犬や猫に特に興味が無く、飼った事も無い。

イオン鹿児島SC内の いつものスターバックスからの帰り道、

駐車場へ向かって歩いていると スターバックスのすぐ隣にある

ペットショップが気になった。

スターバックスへ行く為に いつも通る道だけど、今日は何となく

ふらりと寄りたくなった。

そこのお店では 透明アクリル板(覗き窓)の付いたダンボール箱が

積み上げられていた。

中を覗いてみれば、1~2匹ずつ、子犬や子猫達が入ってた。

僕は何となく、そのダンボール箱を覗いてみる。

そこには 小さな幼い犬がいた。

じ~っと見ていると その子犬と目が合った。

何だか悲しそうな目で、僕の方を見る。

そして前足でバタバタと アクリル板を叩いてくる。

それは まるで、「ここから僕を出してくれ」と僕へ訴えかけて

いるようだった。

「そんな動作をするのは やめてくれ~。僕は買う気は無いんだー」

覗き窓の横には 犬の種類と値段等が記載してあった。

僕は記載してある値段を見てみた。

「あれ? やけにゼロの数が多い」

金額の単位を数えてみれば、

「一、十、百、千、万、十万・・・?」

「え~!、犬って こんなに高いのぉ~?」

僕はビックリして、目を疑った。

ついでに 子猫のコーナーも見てみた。

やはり似たような高額の値段だった。

「でも、この猫達って 僕の田舎に行けば、似たような柄をした

 野良猫達がフツーに ゴロゴロいるけど、どこが違うわけ?」

その金額を見て

「やはりウチでは犬や猫は飼えない」そう思った。

(犬・猫好きの皆さん、不快に感じたら ごめんなさい)

2011年2月23日 (水)

消えたエンジンオイル

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鹿児島に住んでいれば、洗車をするタイミングが非常に難しい。

何故か?

それは桜島の火山灰が、いつ降ってくるかわからないから。

今日、綺麗にしたと思っても 翌日、火山灰が降れば、

車のボディは真白。そして、ザラザラ。

また洗車のやり直し。

雨のように事前に天気予報で 火山灰の降るタイミングが分かれば、

苦労しないけど、地震と一緒で いつ桜島が爆発するか、わからない。

昨日は ガソリンスタンドで灰で汚れた車を洗車してもらった。

そのついでにボンネットの中の点検も してもらった。

するとガソリンスタンドの兄ちゃんが、慌てた口調で、

「お客さーん! エンジンオイルが空っぽですよ~」

オイル量を測るゲージを見てみれば、オイル量の低限よりも更に低い、

ゲージの先っぽに ほんのちょっとだけ、オイルが付いてる。

「マジで~?」僕はビックリした。

エンジンが焼きつくのでは無いかと心配した。

そしてガソリンスタンドの兄ちゃんは ここぞとばかりに自社で扱ってる

エンジンオイルを購入し、補充するよう勧める。(営業活動)

「いえ、結構です」僕は断った。

ちょっと心配だったが、このまま走って いつもメンテナンスを

してもらってるディーラーへ持って行った。

「しばらく預からせてください」

原因がすぐには わからず、エンジンをバラす必要があるらしい。

オイルが車の下に漏れた形跡も無いのに 何処へ消えるのかしら。

そう言えば、昨年も同じ車で、同じ事があったのよね。

困るわ~。

それにしても オイル残量が無くてビックリした。

2011年2月22日 (火)

「気」の流しすぎ?

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昨日、リワークで気を流した人から今日は声を掛けられた。

「すみませんが、また気を流してもらえませんか?」

「あぁ、いいですよ」 僕は すぐにオッケーした。

やはり うつ病の症状が重いらしい。

僕は昨日よりも気持ちを込めて、気のエネルギーを流した。

「うつの症状が軽くなれ・・・」

「元気になれ・・・」

そう思いながら流したのだけれど、不思議な事に今日は午後から

(気を流した後から)自分の体がちょっと体がダルく、眠くなってきた。

普段はリワークで眠気が襲ってくる事は無いのに。

ひょっとしたら 今日、気のエネルギーを流している時に

僕が気負い過ぎて、自分のエネルギーまで相手に送ってしまったのかも。

ところで、ウチの離婚騒動ですが、現在も状況は変わらぬまま。

今夜も家内は友人と遊びに出掛けてしまいました。

また恐らく帰ってくるのは 僕が寝静まった後の深夜でしょう。

僕は思います。

僕は家内へ「ヒーリングを僕がやる事を理解して欲しい」と思うけれども

それを家内へ言ったところで、その言葉を受け取る側の家内が

それを どう思うかは 家内の勝手。

無理に理解を求めない事とします。

先日、僕は「夫婦は同じ方向を向いて、一緒に前へ進む努力をすべき」と

言いましたが、訂正します。

夫婦同士であっても 同じ方向を向いてる必要はありません。

互いに別々の目標を持ち、それぞれの人生を歩んでて良いと思います。

人は人、自分は自分です。

人には その人なりの意見があって、意見の相違があって当たり前と考えます。

無理やり、夫婦同士だからと言って、相手を理解しよう(理解してもらおう)と

思うから ややこしくなるのであって、別々の考え・行動で良いと考えます。

もっとドライな付き合いで良いと考えます。

2011年2月21日 (月)

「気」の存在

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僕が現在毎日通っているリワーク(職場復帰支援の施設)では

僕と同じ、うつ病で休職中の人が何名か通っている。

うつ病の症状の重い人も何人かいる。

その中の一人へ僕は声を掛けたくなった。

気を流したくなった。

僕は 「また変に思われるかもしれない」と 思いながらも

ツラそうな表情に声を掛けられずには いられなかった。

そして そのうつ病の症状が重そうな彼へ思い切って

声を掛けてみた。

「気を流してみましょうか?」

そう勧めると 彼は抵抗無く「お願いします」という返事だった。

本人の背中や肩を触ってみると ガチガチに固くなっていた。

先日のヒーリング交流会で 先輩ヒーラーから教わった事を思い出し、

本人が調子が悪いと言った箇所を意識しながら 気を流した。

気を流し終わった後に本人へ 「具合はどうですか?」と聞いてみたら

「だいぶ楽になりました」と言われ、

僕は ついでに尋ねた。

「何故、「気」の事をすんなりと受け入れてくれたんですか?」

すると彼は答えた。

「抗うつ剤とか薬を沢山飲んでるけれども 体がキツイだけで効果が薄い。

 助けてくれるのなら今は何にでも すがりたい気分です」

それは僕が うつ病で苦しんでいる時と同じ気持ちだった。

僕も うつ病が重くて苦しい時には とにかく誰かに助けて

もらいたかった。

それで巡り合ったのが、このヒーリングだった。

おかげで僕は だいぶ回復している。

やはり この世にヒーリングは必要だと思う。

話は変わるが、先日のヒーリング交流会で先輩ヒーラーから

「気」の感じ方を教わった。

テーブルの上に置かれた水晶の上に 手のひらを

かざしてみると 水晶の真上では、静電気で

吸い寄せられるような ふわふわとした感覚が有る。

僕は不思議に思うと同時に 改めて「気」の存在を感じた。

自宅に帰ってから その事を思い出し、

今は自宅の水晶で試している。

2011年2月20日 (日)

「私を取るの?、ヒーリングを取るの?」

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僕は最近二つ目のヒーリング法を身に付けた。

僕は そのエネルギーを使って、仕事を続けながら

ヒーリングの技術や知識を もっと高め、人の役に立ちたいと

思っている。

しかし、その二つ目のヒーリング法を身に付けた頃から

家内の様子がおかしい。

夜になれば、僕を避けるように毎晩、

「友達の所へ遊びに言ってくる」と言い、帰りは深夜0~1時。

基本的にウチでは 互いのやる事には干渉しない事にしている。

しかし、話を聞いてみれば 僕が

「ヒーリングの道へ進んでいこう」としている事に反対の気持ちを

持っている事がわかった。

どうやら「ヒーリング」に対して良く無いイメージがあるらしい。

そして毎晩、出掛けるのも「僕と会わないようにする為」と言われ、

「もう、ヒーリングは 辞めて欲しい」とお願いされた。

しかし、僕は今回、ヒーリングについて「素晴らしい道と出会えた」と

思っている。

一生を掛けて この道と付き合い、もっと上を目指したい。

家内は ついに

「私を取るの?、ヒーリングを取るの?」と言いだした。

僕は自分を誤魔化したくなかった。

迷わず、「ヒーリング」と答えた。

それにしても僕は がっくりした。

残念だった。

本来であれば、一番の僕のサポーター役だったはずの家内が

反対しているとは 思いもよらなかった。

そして終いには 「離婚」の文字まで出てきてしまった。

ところで、ここ数年、怪我や病気の僕の入院で メンタル面でも

雑用面でも一番僕を支え続けてくれたのは家内だった。

僕はずっと家内の事を感謝していた。

しかし今回の件で 感謝の気持ちが薄れかけてきている。

マズイ。

それどころか、今では家内に 「僕の進路を邪魔されている」と言う

感情さえ出てきている。

僕達は結局、答えを出す事が出来なかった。

その代わり、「1年間の猶予期間を持つ」という事になった。

1年経って 互いの気持ちが、どう変化しているか。

1年後、やはり離婚へ まっしぐらか。

そうと決まれば ウチには子供がいないので話が早い。

スムーズに事は進んでいくだろう。

それとも 話が解決して 今まで通りの生活を続けるか。

現在、ウチら夫婦は 同じ方向を向いていない。

互いが別々の方向を向き、別々の方向へ進もうとしている。

僕は僕の家内の知らない世界、家内は家内の僕の知らない世界を

それぞれ持っている。

そもそも他人同士が一緒に暮らすので、夫婦生活は意見の相違が

あって当たり前。

そこを修正してながら 夫婦は前へ進まなければならない。

しかし、ウチら夫婦は二人とも頑固で強情だ。

なかなか譲らない。

1年後、どうなっているか全く分からない。

ただ僕は

「折角の人生、好きな道を進みたい。

 ヒーリングを辞めるくらいなら 離婚で良い」と思っている。

2011年2月19日 (土)

ヒーリング交流会

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僕は新しいヒーリング法を身に付けて、まだ間もない。

今日は鹿児島市天文館の某所で開催されたヒーリング交流会へ

参加してきた。

ヒーリング交流会と言っても 今回は かしこまった形で無く、

参加人員も 少人数で、隣の人や 気の向いた人と会話をし、

気のエネルギーを流しあった。

そして会場では 僕の周りには先輩ヒーラーばかり。

しかも皆、すごい実力の持ち主。

話を聴いてみれば参考になる話、初めて聴く話ばかりだった。

ヒーリングのやり方も 改めてアドバイスを受けた。

今日、聴いた事を自分のものにしていきたい。

とりあえず、僕には笑顔が足りないらしい。

「これからは 笑顔でいこう」

言われてみれば、今まで笑顔になった事なんてあっただろうか。

そして「自分の変化に気付くために日記を書こう」。

ブログでは もちろん本音で書いてるけれども 他人様が読んで

不快になるような怒りや悲しみの感情は 書かないようにしている。

自分の日記には喜怒哀楽を全部入れてみよう。

そして「他人を受け入れよう」。(相手を認めよう)

ヒーラーの先輩達が言うには 僕が先日受けたヒーリング法では

必ず、良い方向へ自分が変化し、それに自分が気付いているらしい。

僕もこれから自分の変化を楽しもうと思う。

ついでに言えば、今の僕の目標(目的)は 他人様の役に立つこと。

自分が うつ病の時に周囲の沢山の人から助けてもらい、今の自分がいる。

今度は自分が出来る範囲で(決して無理をせず)社会に恩返しがしたい。

今の僕のこの 気のエネルギーを使って、社会貢献したい。

(何度も言うけど、宗教じゃ無いよ)