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2011年7月

2011年7月31日 (日)

美人さん対策

今日は イオン鹿児島のスターバックスで 元勤務先の

女性社員と一緒にお茶をした。

その女性は 僕のブログを読んでくれているらしく、

アドバイスをしてくれた。

まずは、

「つい、この前まで 『寂しい、寂しい』って書いてたくせに、

 もう次の女性を探し出してる。

 立ち直りが早すぎますよー。

 私だったら もっと引きずる」

と 言われた。

それと ブログで発言した美人さん対策についても

「慎重にやってくださいよ。 焦りは禁物ですよ」

と 念を押された。

そうなのだ。

僕は おっとりとした性格の割りに、結果を

早く求める癖がある。

せっかちな部分があり、早く白黒つけたい気分になる。

「それと 年齢の割に大胆な行動を取ろうとしますね。

 いい歳なんだから もっと落ち着いてください。」

とも 注意された。

もっともである。

僕は、見ず知らずの女性へ声を掛けた事など、一度も無い。

そこで僕は提案した。

「じゃぁさー、いきなり話しかけるのは勇気がいるので、

 ここのスターバックスで 今、一人でお茶してる若い女性に

 練習で 声をかけてみようかな?」

すると

「やめてください!

 そんな事したら ここのお店の出入り禁止になりますよ!」

激しく制止された。

H230731b

それと心配されるのは 明日からの美人さん自身の行動である。

先日も書いたとおり、美人さんは 帰りの電車で、

何時の電車に乗り、何両目に乗るか、パターンが決まっている。

そこで、一緒にお茶してる彼女は言う。

「もしも明日、普段と同じ車両では無く、

 別な車両に乗っていた場合、それはあなた(すなわち、僕)を

 避けている可能性が大きい」

言われてみれば、その通りである。

先日は、美人さんと 目を合わしておきながら 照れくさくて

知らんぷりしてしまった。

まずは、明日の帰りの便が問題である。

いつもの車両にいなかったら 他の車両を探してみる?

でも、それって もう既にストーカー行為だよね?

もう諦めるしか無い?

神様。

美人さんが、明日も いつもの車両に座っててくれますように。

どうか、お願いします。

助けて。

2011年7月30日 (土)

電車の中で。(その2)

今度は 鹿児島市内を走る市電でのお話。

市電も朝は ラッシュアワーで いつも混んでいる。

或る日の事。

混んでる車内で、座席に浅く座り、足を大きく組んで

態度が デカく座ってる若いチャラチャラした

兄ちゃんがいた。

混んでる車内である。

我がもの顔で 大きく場所を取り、明らかに迷惑である。

僕はモラルやルールを無視した行為をする人間が

許せない。

そして、そう言う人間を見かけると怒りが、こみ上げてくる。

正義感が異常に強い。

僕は勇気を振り絞り、その兄ちゃんへ 大きな声で、

「おい! 足が邪魔だろ! 引っ込めろ!」と、怒鳴りつけた。

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と言うのは嘘で、勇気が無かったので、何も言わなかった。

しかし、このままでは 僕の気持ちが収まらない。

僕は ある事を思いついた。

市電は、走りながら よく左右に大きく揺れる。

それを利用する事にした。

僕は 僕が降りる電停が近付いた時に 立ちあがり、

その兄ちゃんの前を通る瞬間、

市電がグラリと揺れたタイミングを見計らって、

僕の手持ち鞄を その兄ちゃんの邪魔な足へ わざと

ぶつけてやった。

しかし、その行為は 「電車が揺れたから 偶然に当った」と

言う風に あくまで さりげなく。

僕は そのまま、目的の電停でサラリと下車。

残された兄ちゃんは 僕に足を崩され、あっけに取られていた。

僕の計画は、大成功。

あー、いい気分。

うひひ。

2011年7月29日 (金)

僕の密かな作戦

先日の美人さんのお話の続き。

僕は美人さんと通学電車の中で出会った。

(出会ったと言っても 僕が勝手に見つけただけである)

何日も電車通学しているうちに その美人さんが、

帰りの電車で何時の電車に乗り、それが何両目に乗ってるかも

決まっている事がわかった。

(注:僕はストーカーではありません)

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或る日の事。

帰りの電車で偶然にも 一席の空席を挟み、僕と

その美人さんは、隣通しで座席へ座る機会があった。

彼女は、いつも電車の中で ケータイを いじっている。

僕は そのケータイが気になり、バレぬように横目で

じぃーっと ケータイを覗きこんだ。

「メールを打ってるのかな? 何を見てるのだろう?」

気になった。

しかし僕の席からはケータイの画面の中までは見えない。

そして、知らず知らずの内に 僕はケータイを ガン見(み)して

いたらしく、美人さんに見つかり、僕の方を見られた。

「ヤバイッ!」

一瞬、美人さんと僕は目が合って、ハッ!とし、

すぐに知らんぷりして 僕は正面を向いた。

もう、ドキドキものである。

そして、美人さんから僕を変に思われていないか、心配である。

僕は それきり 電車に乗ってるときは

前を向いたままだったが、美人さんが、いつも降りる駅が

近付いた時に、彼女は立ちあがり、出口のドアへと歩いて行った。

僕は それと無く、目で追った。

駅に停車し、ドアが開き、電車から降りる瞬間、美人さんは

また僕の方を振り向き、目が合った。

「ヤバイッ!」

僕は焦って、再び目をそらした。

(注:重ねて申し上げますが、僕はストーカーではありません)

これは、美人さんへ良いイメージは与えなかったに 違い無い。

僕は目で追った事を 後悔した。

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後日、僕は この事を或る女性へ話をした。

そして、今後の自分の対応、すなわち、美人さん攻略法、

(もっとわかりやすく言えば、ナンパの仕方)を

現在の僕の対策法を話をしたが、女性から返って来た回答は、

「あなたは女心が まるでわかっていない。それをやったら

 ただの不審人物だ」

と指摘された。

そこで、今後の対策を練った。

1.まずは、美人さんへ不審がられぬよう、あくまでも

  さりげなく、そして笑顔で

  「あのー、すみません。人違いかもしれませんが、

  先月のマルヤガーデンズのイベントでお会いした

  ○○さんでは、無いでしょうか?」

  と、声を掛ける。

  そこで、美人さんは100パーセント

  「いいえ」と(当たり前だが)言うので、

  「すみません、人違いでした。 ごめんなさい」

  と、すぐに引っ込む。

  第一段階は、これで終わり。

2.第二段階。

  後日、数日経過してから いつもの乗りこむ駅で、さも偶然に

  会ったようにして

  「こんにちは。先日は、人違いをして失礼しました」

  と、さりげなく謝る。

  この日も これで終わり。

3.第三段階。

  またもや数日、あまり日にちの経過しない内に

  (恐らく、既に僕の顔は覚えていると思うので)

  これまた偶然に会ったようにして、今度は会釈だけする。

  これを数回、繰り返し、これで確実に僕の顔を覚えてもらう。

一応、今の段階では この計画を実行する予定。

この後の段階は進捗状況(相手の出方)を見て、決めます。

そして美人さんへ このアプローチをかけて、仮に嫌がる

素振りが少しでも見えたならば、即刻 この行動は中止します。

なぜならば、

無理やり実行し続けると、本物のストーカーになっちゃう。

しかし今度は作戦を練り直し、しばらく経過してから別案で

挑戦するかもしれません。

話は変わりますが、

元・家内自身も 自分の幸せに向けて動き出している事が、

わかりました。

僕も 元・家内へ負けていられません。

僕自身も元・家内の幸せを願いつつ、元・家内に負けぬくらい、

前向きに一生懸命、頑張ります。

でもさー、

正直言うと 美人さんの前では緊張するので、

さりげなく話が出来るか、

そもそも、声が掛けられるか自信無いんだよねー。(汗)

2011年7月27日 (水)

電車の中で(その1)

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今日さー、

帰りの電車の中でさー、

スゲー、美人を偶然見かけちゃってー。

僕は美人に弱いのよね。

もう、どうにかしてお友達になりたかったけど、

いきなり電車の中で 見ず知らずの人へ

声を掛けるのは、どう考えても変だし~。

何とか、その美人さんと一緒にスタバでお茶したいし、

何とか、その手元で いじっているケータイの

メールアドレスをゲットしたーい。

でも、そもそも女性に声を掛ける勇気なんて

僕には無いんだよねー。

と、モヤモヤと考えてる内に

その美人さんは或る駅で、さっさと降りて行った。

また会えないかしら。

余談だが、僕の好きなタレントは菅野美穂である。

(この「電車の中で」シリーズは続きます。

 ちなみに通勤電車の中は色んなタイプの人がいるよ。)

2011年7月26日 (火)

ずっと待っていた。

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鹿児島の夏の風物詩として

桜島の火山灰も特徴があって観光客には、

ウケるだろうが、

僕は どちらかと言えば、こちらが好き。

ずっとキミの出番を待っていた。

しろくま。

2011年7月24日 (日)

アクセサリー・ショップにて

僕の先輩ヒーラーには、ブレスレットやペンダントなど、

エネルギーを持ったストーン・アクセサリーを

身に付けている人が多い。

僕は、意味は よくわかっていないが、とりあえず先輩達が

身に付けているので、僕も身に付けたくなった。

その事を 或る先輩ヒーラー Yさんへ話をすると

「鹿児島市内でも質の良いストーン・アクセサリーを

 扱っているお店がある」と言う事で

他の先輩ヒーラー達と一緒に お店を覗きに行った。

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Yさんが言うには、ストーン・アクセサリーにも様々な物があり、

例え、「ヒーリング・ストーン」(ヒーリング効果のある石)と

名前を謳っていても「実際はマユツバものも存在する」と言う。

今回、行ったのは鹿児島市 照国神社近くのお店。

ここのお店の石たちは、見た目だけでも 輝きや透明性が違う

らしい。

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そこで、ここからが問題だった。

僕はお店に入るまで、もちろん、自分の腕や首から下げるイメージの

アクセサリーを想像していた。

しかし、お店に入り、実際に陳列されたアクセサリー達を見た時に

出てきた感情は、

「家内へ似合うアクセサリーは どれだろう?」

「家内へプレゼントしたら喜んでくれるアクセサリーは どれだろう?」

と言う、気持ちだった。

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なぜならば、

今まで僕自身、アクセサリーショップへ一人で何度も行った事が

あるけれども、それは家内への「お誕生日プレゼント用」だったり、

「クリスマスプレゼント用」だったり、家内へ贈る為にアクセサリー

ショップへ入る事ばかりだった。

自分の為にアクセサリーを買うなんて、今まで一度も無い。

なので、綺麗に陳列されたアクセサリーを見たら 自然と

元・家内の顔が頭に浮かんだ。

色々とストーン・アクセサリーを見ていたら お店へ連れて

きてもらった先輩のYさんから

「自分の 気に行った物があった?」と尋ねられ、ハッと我に返った。

自分の物を 探すんだった。

慌てて僕は返事した。

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それにしても 僕は既に離婚し、家内へプレゼントを贈る事は

もう、無い。

そう思うと、やっと少しずつ癒えてきた離婚の悲しみや寂しさの

感情が、また浮かび上がって来た。

まだ僕は「離婚のツラさからは脱却していない」と言う事が

今回、改めてわかった。

ちょっと 女々(めめ)しいかな。

2011年7月 9日 (土)

離婚しました。

先月僕は結局、離婚してしまいました。

離婚を思いとどまってもらうよう、家内へ手紙を書きました。

夜は毎晩、言葉で説得しました。

でも駄目でした。

家内の決意は固く、動きません。

先月に僕が何となく

「いつ、離婚するつもりでいるの?」と尋ねたら

「今月(6月)中には離婚届を出したい」と言う返事が

返ってきました。

僕はあまりの突然さに びっくりすると同時に

その日から 僕の心は不安定に ぐらつくようになりました。

悲しくて、寂しくて毎晩、泣いてばかりいました。

大切な家内を失いたく無かった。

でも僕には もう、どうする事も出来なかった。

辛い選択でしたが、気持ちの離れて行った人へ

どう説得しても無駄でした。

僕は離婚を受け入れるしか道は ありませんでした。

離婚が決定的になってから というもの、

今度は自分を責めて、悔やむ日々が始まりました。

「なぜ、もっと早く家内の気持ちに気付いてやれなかったのだろう?」

「なぜ、もっと早く家内の苦しさがわからなかったのだろう?」

「なぜ?、なぜ?、なぜ・・・?」

それは辛く苦しい日々でした。

今は当時に比べ、多少、気持ちは上がっているものの、

やはり、まだ ふっきれてません。

僕は大切な家内を うつ病と言う病気により、失ってしまいました。

ついでに言えば、うつ病の再発と言う事で 勤務先の会社も

クビになってしまいました。

ダブルでダメージですが、仕事については また探せばいい。

しかし大切な家内を失ったダメージの方が、はるかに大きい。

離婚とは悲しく、苦しいものです。

でも幸いな事にウチには子供がいませんでした。

なので、親権の問題は発生せず、財産(お金を含む)の分け方は

スムーズにいきました。

僕に原因があるし、家内は離婚後、今まで通り鹿児島市内へ

(別のアパートへ)一人暮らしをするらしいので、家内が少しでも

有利な条件になるのは僕自身、賛成でした。

家内は 僕が うつ病になった為に 僕が苦しむだけでなく、

僕を支えていた家内も実は苦しんでいた。

その事実に僕は 気付かなかった。

自分だけが「悲劇の主役」のつもりでいた。

でもそれは大きな間違いだった。

家内は僕への数年に渡る うつ病の看病で疲れ果てて、

「もう疲れた。自由にさせて欲しい」と言われた。

僕は その言葉を受け入れた。

受け入れるしか無かった。

しかし、その代わり、今後、家内には幸せになって欲しい。

なぜならば、

結婚して約16年の間、僕は家内から沢山の「幸せ」をもらいました。

しかし、僕は家内へ何一つ、してあげられなかった。

家内が僕と離婚し、独りで生きて行くのか、それとも

新しいパートナーを見つけ、新しいファミリーを

作るつもりなのか、それは知らない。

でも、家内には本当に幸せになって欲しい。

もう2度と、今回のように苦しむ人生を歩んで欲しく無い。

離婚後は 毎日、家内が笑顔で暮らせる日々であるよう、

心から望んでいます。