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2011年7月 9日 (土)

離婚しました。

先月僕は結局、離婚してしまいました。

離婚を思いとどまってもらうよう、家内へ手紙を書きました。

夜は毎晩、言葉で説得しました。

でも駄目でした。

家内の決意は固く、動きません。

先月に僕が何となく

「いつ、離婚するつもりでいるの?」と尋ねたら

「今月(6月)中には離婚届を出したい」と言う返事が

返ってきました。

僕はあまりの突然さに びっくりすると同時に

その日から 僕の心は不安定に ぐらつくようになりました。

悲しくて、寂しくて毎晩、泣いてばかりいました。

大切な家内を失いたく無かった。

でも僕には もう、どうする事も出来なかった。

辛い選択でしたが、気持ちの離れて行った人へ

どう説得しても無駄でした。

僕は離婚を受け入れるしか道は ありませんでした。

離婚が決定的になってから というもの、

今度は自分を責めて、悔やむ日々が始まりました。

「なぜ、もっと早く家内の気持ちに気付いてやれなかったのだろう?」

「なぜ、もっと早く家内の苦しさがわからなかったのだろう?」

「なぜ?、なぜ?、なぜ・・・?」

それは辛く苦しい日々でした。

今は当時に比べ、多少、気持ちは上がっているものの、

やはり、まだ ふっきれてません。

僕は大切な家内を うつ病と言う病気により、失ってしまいました。

ついでに言えば、うつ病の再発と言う事で 勤務先の会社も

クビになってしまいました。

ダブルでダメージですが、仕事については また探せばいい。

しかし大切な家内を失ったダメージの方が、はるかに大きい。

離婚とは悲しく、苦しいものです。

でも幸いな事にウチには子供がいませんでした。

なので、親権の問題は発生せず、財産(お金を含む)の分け方は

スムーズにいきました。

僕に原因があるし、家内は離婚後、今まで通り鹿児島市内へ

(別のアパートへ)一人暮らしをするらしいので、家内が少しでも

有利な条件になるのは僕自身、賛成でした。

家内は 僕が うつ病になった為に 僕が苦しむだけでなく、

僕を支えていた家内も実は苦しんでいた。

その事実に僕は 気付かなかった。

自分だけが「悲劇の主役」のつもりでいた。

でもそれは大きな間違いだった。

家内は僕への数年に渡る うつ病の看病で疲れ果てて、

「もう疲れた。自由にさせて欲しい」と言われた。

僕は その言葉を受け入れた。

受け入れるしか無かった。

しかし、その代わり、今後、家内には幸せになって欲しい。

なぜならば、

結婚して約16年の間、僕は家内から沢山の「幸せ」をもらいました。

しかし、僕は家内へ何一つ、してあげられなかった。

家内が僕と離婚し、独りで生きて行くのか、それとも

新しいパートナーを見つけ、新しいファミリーを

作るつもりなのか、それは知らない。

でも、家内には本当に幸せになって欲しい。

もう2度と、今回のように苦しむ人生を歩んで欲しく無い。

離婚後は 毎日、家内が笑顔で暮らせる日々であるよう、

心から望んでいます。

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