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2011年3月25日 (金)

消えて行った「怒り」の感情

H230325b

実を言えば、ここ数日の間、僕は怒りの感情に満ちていた。

或る人から 僕への一方的な発言、そして他人を巻き込んで、

自分を擁護し、騒ぎを大きくするその態度に

僕の怒りは 頂点へ達していた。

「いつか大きな仕返しをしてやろう」と 企んでいた。

でも、僕は止めた。

僕は もう今後、その相手と関わる事を止めた。

(相手を認めると言う意味では無い)

今回は 相手に対して真正面から ぶつかり、怒りが強かった為に

白黒付けたい気分だったが、もう止めた。

なぜなら「怒り」と言う感情は とてつもなく大きなエネルギーを使う。

今回の件で、その事を知った。

人間の 気のエネルギーには限りがある。

僕は その相手宛にパソコンに向かって文章を書いていた。

書いてる途中は、夢中で気付かなかったが、書いた後には大きな疲労感が

残り、うつ病の症状は ひどくなっていた。

翌日、再度 文章を書こうとしたが、エネルギー不足の為、パソコンに

向かう事すら出来なかった。

よく考えれば、

他人と意見の相違があるのは 当たり前である。

このまま会話を続けても その相手と僕は平行線のままだろう。

そう思えば、「怒り」と言う感情は、気のエネルギーの

無駄遣いである。

「今後、似たような体験をしたら 受け止めずに軽く聞き流そう」

 (話を聞いてるふりをしよう。馬耳東風でいよう。)

「怒りと言う感情は、気のエネルギーの無駄遣いだ」

そう気付かせてくれたのは、今日行った某カフェの人達の

おかげだった。

僕は その人達と会話しているうちに 自分のエネルギーを相手への

「怒り」に費やしている事が、馬鹿らしくなった。

その相手と議論したところで、何の得があるだろう。

僕は そのカフェにいる内に 知らぬ間に癒されていた。

僕はスタバで ひとり、自分の時間を楽しむのが好きだけれども、

今日のように温かい日だまりのような 人の輪の中に入って ゆったりと

会話するのも悪く無い と思った。

今日は、某カフェの皆さんのおかげで救われた。

そのカフェに行かなければ、僕の感情は まだ今でも「怒り」のまま

だったに違いない。

お店を出る頃には「怒り」の感情は、自然消滅していた。

僕は 某カフェで出会った皆さんへ感謝したい。

 【追伸・上記写真のコーヒーを出してくれた某カフェの皆さんへ】

多分、またここをご覧になってると思います。

今日はお世話になりました。

上記文章のように 今日はおかげ様で救われました。

またお店へ伺います。

ありがとうございました。

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