認知症(痴呆)介護
この前、勤労感謝の日に実家へ帰った時の事。
実家の近所で お爺さんのお葬式をやってました。
ご近所さんは、お爺さんとお婆さんの二人暮らしだったんですよ。
数年前にお婆さんが認知症になってしまって、病院の入退院を繰り返し、
お爺さんは お婆さんの看病をやってたそうです。
肺に穴が開いていたそうですよ。
これは母から聞いた話ですが、お爺さんを診断したお医者さんの話では
「 これは最近出来た穴じゃないよ。本人も相当痛くて 息をするのも
苦しかったハズだ。」と 言われたそうです。
ちなみにお婆さんは、お爺さんが亡くなった事が分からないそうです。
人が亡くなった事自体、悲しい事ですけど それ以前に何だか
スッキリしない気分ですよ。
今の時点で私の両親は、体の不自由も無く、意識もしっかりしてて
とても認知症とは無縁のように思ってますが、
自分の親も確実に老いていく訳で
「 その時の為に将来の事をちゃんと考えないと いけないな。 」と
感じた出来事でした。
( 正直なところ、自分の親が認知症になってる状況って あんまり
考えたくは無いですけどね。 )
今の家に住んでいた母方の祖母が、もろ認知症で、発症してから亡くなるまで十年近くかかりましたよ。最後の5年は母一人ではとても看きれず、父とわたしと3人がかりで、それでも最後は3人ともギリギリのへとへとでした。でも、看る側もたいへんだけど本人もたいへんなんですよ。今の介護を取り巻く状況にはほんと色々「どうかと思うよ!」なことばかりです。
投稿: 春 | 2005年11月25日 (金) 20:11
私は母と祖父を看ました。というか母が祖父を、家事を私が担当、という感じです。徘徊する祖父をどうしたらいいのか、肺炎が持病だったので、病院もたらいまわしで私は当時、母をどう支えていいのか解りませんでした。
地域に親戚もなく、私達は途方にくれたのでした。そんな時に知り合った夫のつてで祖父を大きな病院に入れることが出来、母は一安心したのでした(肺炎がなければうちで介護できたんですけどね)
それから私は夫と結婚し、祖父は1年後亡くなりました。ひ孫を見せてあげられなかったのが残念です・・でも一番の懺悔は痴呆が出てきた最初、相手にしなかった事がおっきいです。私の部屋の窓を叩き「○○~」って叫ぶので大嫌いでした。なにかを訴えていたんでしょうが、10代の私には理解できずにいました。
介護、される側になったら、解るのでしょうか・・・
そうそう、アドレスないとコメントできないですか?知らなかったです。
投稿: べにこ | 2005年11月25日 (金) 22:09
>春さん
私の祖父も認知症で おまけに足が不自由でした。
ウチの場合は 父が仕事柄、年に2~3回しか自宅に帰ってこられず、
実質面倒を看ていたのは 母が一人でした。
(オムツ替えたり、ご飯食べさせたり とか)
今回の件、父とも話す機会がありました。
祖父の認知症で 母の手を焼き、周りに面倒を掛けない為だと思いますが、
父は
「 オレは いつまでも生きてないで、死ぬ時はパタッとすぐに死にたい。 」
と 言ってましたよ。
何だか少し悲しい言葉でした。
春さんも介護の経験があるんですねー。
それも 約10年近くの間。
「 看る側もたいへんだけど、本人もたいへん 」
この言葉、初めて聞きました。
お恥ずかしい事に認知症の本人は 自分の中に意識が無いもの
(自分で何をしているか わからないもの)と思ってました。
う~~む。
私自身、まだまだ認識が甘いようです。
それから 時々TVニュースで騒がれてますけど、今後の社会福祉とか
高齢者の医療費の問題とか、かなり心配です。
>べにこさん
皆さん、介護の経験があるんですねー。
べにこさんのお爺さんは 徘徊も。
夜もぐっすり眠れない状況だったのでは無いでしょうか。
それと頼れるのは やっぱり身内なんですね。
私の祖父は、私が幼稚園児の時に亡くなりましたので祖父との思い出は
少ししかありません。
でも、一緒に遊んでもらった事を良い思い出として少なからず覚えています。
べにこさんのお爺さんも お孫さん(べにこさん)と一緒にいたかったんでしょうかねー。
「 介護される側になった時の気持ち 」 ←考えた事ありませんでした。
私が介護される側になる時って 一般的な介護される年齢になるまで
まだ数十年あるわけですが、何だか少し不安。
その時って、先ほどの福祉の事やデイサービスとか もっと充実してるのかなぁ?
それから メールアドレスの件ですが、入力しないとエラーメッセージが
出てきてしまうんです。
投稿: なしごれん | 2005年11月26日 (土) 11:30